「ごんぎつね」を読んで、いろいろな感想が出てきた。この作品は悲劇に違いない。ごんという狐を通じて多くの道理を私達読者に伝えた。
ごんは、ひとりぼっちのこぎつねで、森の中に、穴を掘って住んでいた。一人で生活したのはとても寂しかったので、ごんは村の人たちに注意されたかったり、人と交流したかったりしたこそ、夜でも、昼でも、むらへ出てきて、いたずらばかりしたのだと思っている。ですから、二、三日雨が降り続いた間にそんなに耐えがたくて、雨があがると、ほっとして穴からはい出た。ごんは子供みたいに、毎日楽しんで遊びたかった。しかし、両親がなくて、基本的な常識もないので、いたずらによって、自分の楽しみを見つけるしかなかった。また、弥助の家内と新兵衛の家内の行動を見ると、いろいろ考えてから、葬式だと判断したというところも、ごんはよく村のことを観察して、むらに融きたかった、という点が見える。 しかし、ごんは動物と人間には大きな溝があるのを全然知らなかった。これもごんが最後に悲劇的に兵十に殺された一つの原因である。人間は侵略性の強い動物であり、自然の他のものは最後、必ずにんげんに征服され、または人間によって消滅してしまう、という結果になるにちがいないと思う。この作品の中にも、「墓地には、彼岸花が、赤い切れのように先つついていました。」、「人々が通ったあとには、彼岸花が踏み折られていました。」という内容が書
いたいた。ここにも、他のものに対して、人間の硬くて、気にせずという態度を暗示したと思う。
ごんはいつもいたずらばかりして行っても、本性は悪くなかった。兵十のおっ母が死んだの知ったあと、すぐ自分のせいだと思った。そして、貧しくて自分と同じように一人ぼっちになった兵十を見ると、多分彼に何かをしてなぐさみたかったから、「向こうへ行きかけます。」その時、ちょうど鰯売が来たので、単純なごんはすぐイワシを盗んで兵十のうちの中に投げて、うなぎの償いに、まず1つとして、いいことをしてくれた、とごんはそう思っていた。だが、その行動の結果をよく考えなかった、という素直なやり方は結局、兵十に傷害をもたらしてしまった。それはごんは思っても見なかった。ところが、いつも腕白で、子どもっぽいのごんは今度、償いを断念しなかった。なお、兵十にもっと謝りたかったという気持ちになって、森林で栗やまつたけをひろって、彼の家にこそこそと行って送ったのである。
ところが、兵十から「毎日、神様にお礼を言う」と聞くと、ごんは怒った。「俺が栗や松茸を持って行ってやるのに、その俺にはお礼を言わないで、神様にお礼言うんじゃあ、俺は引き合わないなあ。」ととても不満だった。ここもまた、ごんの欠点を表した。ごんはいいことをしてあげると、相手に感謝をもらうと思って、最初の償いは全く忘れてしまった。
かっといて、ごんはたしかにかわいいきつねだと思っている。作
者は彼の欠点もちゃんと書いたから、私達にいきいきしていた狐を感じさせていた。ごんは子供みたいにいたずら好きで、明るくて、純粋である。自分の間違いがわかったら、すぐやり直した。それと同時に、兵十はある程度で表面だけを見る親のように、何も深く調べないのに、簡単に自分の直感によって、判断する。その結果、かわいそうなごんは彼の臆断で亡くなった。
最後、ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、頷いた。彼は自分がなぜそんなにひどいことを受け取られたのかがあまりわからなかったかもしれない。でも、彼の失望や悲哀はよく感じられる。十二、三日の間に、そんなに明るいごんは今、冷たい死体になったのも、人生の変わりと運命の規則がよく感じさせられていた。悲しんでいられなかった。
「兵十羽、火縄銃をばたりと取り落としました、青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。」と作者はこれを結尾としてこの物語を終わりにした。ごんはもう死んでしまったが、兵十を始め、私達みんなにも色々啓発させた。これからはどんな目で人のことを見るのか、どんな態度を持って生活するのか、青い煙にともなって、考えこんでいられなかった。
因篇幅问题不能全部显示,请点此查看更多更全内容